広大医学部受験物語 〜何もできなかった僕が、広島大学医学部を受験したときの話〜

こんにちは、片山です。

26歳のときに受けた医学部受験の経験をもとに、中学生高校生に勉強を教えながら、インターネットで情報発信したり教材をつくって販売したりしています。

さて、今日の話はみんなに希望をもってもらうためにします。

「僕は能力なんてなかった」「こんな僕でもここまでのことができた」「だからみんなもできるよ!」って話です。

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僕、26歳のとき、広島大学の医学部を目指して受験したことがあります。

そのときは、結果は残念ながら本番失敗してしまったんで、だめだったんですけど、

でもほんとにもう少しってとこまでいきましたし、

それより何より、自分でも驚くような結果を出すことができました。

具体的にいうと、たった8ヶ月の独学で模試で全国96番をとったりだとか、

全国模試で96番てやばくないですか笑?

県ではありません。全国でです。

それに広島大学は合格が70人枠で、僕はもちろん合格を目指してやってはいましたけど、でも実際は実力もないと思っていたし、何より本番失敗してしまったんで、落ちたときは「そりゃそうだよな」って思って、結果もよくても300番ぐらいかなって思ってたんです。いつもは受験者数は300人ぐらいなんですけど、僕らの年は575人受けにきてましたからね。

でも5月に結果開示ができるんですけど、その紙をみるとそれが何番だったいうと。

自分でも「え?」って思って、

それが90番だったんですよね。(ちなみに合格者は75人でした。)

それをみて、

「なんだ、あとすこしじゃん…」て思いましたね。

落ちといてなんですけど、「たいしたことねーな」とも思いました。

僕は医学部を受けることにびびってたんです。

でも「医学部ってびびってたけど、こんなもんか」って。

もちろん上には上がいますし、今の僕は自分のやったことを大したことだとは思いません。

今は、正直、こんなのは誰でもできると思います。やり方を知って、努力できればという条件つきですけど。

でも高校のときの僕は頭がよくなかったので、ふつうの感覚からしたらこれがやばいのは僕もわかるし、それにあのときの僕にとっては自分でも「は?」って感じだったんですよね笑

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ちなみに僕は医学部の勉強をしたときも頭がよかったかというと全然そんなことはなくて、

頭がよいどころか、むしろ僕は頭がわるいと思ってたんです。

だって頭よかったら、今までももっとうまくいってるんで。

僕は大学時代は国語教育の研究者を目指してたんですけど、意識だけは高くてずっと勉強してたんですが、全然授業はうまくできないし、論文もかけないんです。そうかと思うと、「普段なにもやってねーだろ!」ってつっこみをいれたくなるような女子の方が論文うまかったりします。

僕はなんでも覚えたり考えるのが遅かったので、ラーメン屋でバイトしたときにはどうやったら効率よくラーメン出せるかとか考えるんですけど、僕はずっと遅くてホールばかりやってました。「いらっしゃいませー!」って言って。

紙にかいて考えるのは得意なんですけど、頭のなかで考えるのは苦手なんですよね。

それに高校のときに比べて、「記憶力も落ちてるんだろうな」って思ってました。

もしかしたら、人並みではあったのかもしれませんけど、そうはいっても相手は医学部ですからね。

もうそれと比べると、自分なんて全然ってかんじです。

僕はそういうレベルの人間ではないんです。

僕が高校の頃は、ただでさえみんな頭いいのに、そのなかでも医学部受けるなんていうのは、ほんとに秀才中の秀才というか、学年でもトップ5番とか10番にいるような、もともと頭のいい人たちでしたから。

あなたの学校でもそうじゃないですか?

それも福井大学じゃなくて、広島大学の医学部ってなると、もう僕からするとはっきりいって宇宙人です。

エリート中のエリートです。

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しかも、はじめるときの状況は散々だったんですよね。

今、そのときのことを生徒とか知り合いとかに話すと、「先生は頭よかったんですね」とか、「高校のとき一回やったことあるじゃん」とかって思われるんですけど、

それをいわれると「いやいや、ちょっとまってくれ」ってかんじで、

「そんなんじゃないんだよ!」と思って

もう、あのときの僕にとっては全然そんなんじゃなかったわけです。

僕は大学が国語科だったので、国語だけは自信がありました。

でもそれ以外はもう全然だめで、高校のことなんて、英語とか日本史とか数学とか、もうなにもかも全部忘れてて全部いちからですし、数学3なんて高校の授業はじまった瞬間から意味不明でした。

理科の先生になりたいと思ってたのに化学はもう授業がまったく理解できず、捨てて物理で勝負してました。僕らのときは理科1科目でよかったので。

でも年齢も年齢でしたし、今から医者になるなら生物と化学やらなきゃと思って、初めての科目も、昔わからずに捨ててた科目も、全部自分ひとりでやらないといけません。

僕が何より不安に感じてたのは相手が医学部レベルのエリートってことです。

ふつう、医学部なんて高校1年生の頃から3年間ずっとやってますし、それが広島とか福井出身の僕にとってはバリ都会なんですけど、そういうところの医学部なんてのは、それこそ中学の頃から有名予備校通って、ずっと英才教育受けてるわけです。

親が医者とか社長とかですから。

で、僕はそんなエリートたちのレベルに到達するって、全く自信なかったです。

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それだけじゃありません。期間もたった8ヶ月しかなくて、誰にも習うこともできなくて全部自分でやらないといけませんでした。

僕は今でこそ自分でやってよかったと思いますけど、あのときはできれば学校とかいきたかったし、予備校もいきたくて、だめもとでいろいろまわりました。

でも学費は高いし、お金もなかったし、そもそもはじめたのも6月だったんで、「もうはじまってるから」っていわれて断られて、予備校の先生たちが丁重にお断りしてくるんです。

たぶん「絶対むり」って思われたのもあると思うんですけど、

だから僕はみんなが学校や塾に行けるのがほんとにうらやましかった。

ずっとひとりで不安とたたかいながら受験勉強してました。

もう試験本番でも学生服がこわいわけです。

「こいつら、どんな英才教育うけてんだろ」って思って。

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みたいなかんじで、状況は最悪だったんですけど、でも僕の人生はもうそれしかなかったので、できる自信なんて全くなかったけど、「やるしかない」と思って、「やってやる」と思って、やりはじめました。

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最初はいいんですけど、もうやってると「現実みせられる」というか、最初の1ヶ月で、「このままだと絶対むり」って思いました。

がんばって勉強してるのに、進みは全然遅いし、覚えられないし、もうどう考えても間に合わないんですよね。

これが3年あればなんとかやれるかなと思いますけど、僕には8ヶ月しかなかったので。

だからそのときに、僕は必死に勉強のヒントを探したり、調べたり、自分でも考えたりして、

そしたら、あるとき神みたいな情報に出会いました。

「なるほどー!」と思って、それをもとにやってみたら、今までとは全然効率いいのが自分でもわかって、そこから勉強方法を工夫しまくったんです。

そこから勉強の仕方もどんどん確立されて、成績もぐんぐんあがっていきました。

僕は勉強をはじめたときとちがって、このときには点のとりどころであったり、どうすれば合格ラインに届くか、どうすれば点が上がるかがかなり明確にわかっていたので、迷いはありませんでした。

僕が気にしていたのは「点が上がるか」ではなく、「残り時間で間に合うか」だけです。

現状と比べて、ゴールがはてしなく遠いので、間に合う見込みなんてずっとなくて、ずっと時間との戦いでした。

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いいかんじで進んでたんですけど、10月あたりに、もう一度現実をみせられました。

僕の場合、センター試験で900点中の810点、できれば840点をねらっていたんですけど、

模試を受けたら700点ぐらいしかなくて、どう考えても残り時間が足りなかったのです。

最初のほうは点を上げるのは簡単ですけど、だんだん難しくなってきますし、今までの流れからも予測できてしまうんですよね。

センター試験も間に合わないし、二次試験の実力は全然足りないし。

そうして一度、彼女の前で泣いてしまったことあります。

「ごめん、もう絶対に間に合わない」

これで僕が医学部に受からなかったら、もう結婚できなくなるのを僕は解っていました。

そしたら彼女がなんて言ったと思います?

「もうがんばらなくてもいいよ」って言ったんです。

「やめてもいいよ」って。

なんか、もう無理で、やめたくて、あきらめたいって思ってたんですけど、

ただそれをいわれると、「いや、そんなこともないんだよな」と思ってw

「まだできることはある」「やってやる」と思って、気をとりなおして、またがんばりました。

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これまでもかなり上手には進めていましたが、ただ今までのやり方で頑張っても結果はそうかわるものではないので、

またがらっと勉強の仕方や集中すべきポイントをかえました。

そしたら、そこからです。

一気に成績が上がっていったのは。

そうして僕は810点の実力をつけることができました。

失敗すると770点になってしまうので、それがないように自分が失敗しやすい国語や数学2Bを中心に直前の対策をしました。

逆にうまくいくと840点をとれることもありました。

810点だときびしく、840点とれば受かると思っていたので、

僕は840点を目標に本番に臨みました。

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そうしていよいよ本番を迎えました。僕、前日寝ていないんですよね。

あのときは広島では珍しく、急に雪が降ったんです。

僕は遅れるのが怖かったので、前日に急遽荷物を準備して、車で広島大学に行きました。

着いたのは夜中の2:00ごろだったと思います。

今更ホテルをとるのももったいないので、僕は車の中で寝ようとしました。

そしたら寝ようとするんですけど、緊張していたのか寝れませんでした。時間が3時、4時とすぎていき、僕は寝ることをあきらめました。

(ホテルでねればよかったです。)

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いよいよ試験がはじまりました。

本番は残念ながら失敗してしまいました。

最初の日本史はよかったんですけど、一番の不安科目だった国語で失敗してしまいました。

僕は180点を狙っていて、これが170点にならないように気をつけていたのです。

そしたら、もう内容はむずいわ、文章ながいわ、頭真っ白になるわで、大ゴケです。

よくても160点、でもおそらく150点という、とんでもない失敗でした。

「やっちまった。。。」と思いました。

その後、僕はその国語の失敗をとりかえすために、他の科目を受けました。

もはや840点は無理で、この30点の失敗をとりかえしていかに810点にするかの戦いでした。

でも、国語の失敗がでかすぎて、もはやどうすることもできず、最後は数学2Bや化学はあきらめてしまいました。

結果は769点でした。

試験が終わった日の夕方、僕は広島のSOGOで彼女に会いました。

「ごめん、失敗したわ。」

「そっか笑」

彼女は笑って、僕を元気づけようとしました。

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はっきりいって、もうこの時点で僕の医学部受験は終わっていました。

もう無理なので、やめてもよかったと思います。

でも、僕にはやめる勇気もなかったし、他の選択肢もありませんでした。

二次試験まで残り40日、もうほとんどあきらめ、でも「どうせやるからには」と思って半分は希望をもって、苦手な二次試験の対策をしました。

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二次試験はだめもとで受けてたんですけど、前期試験は書けるだけ書きました。

「奇跡がおこってくれ!」と希望をもって結果を見にいきましたけど、やはりだめでした。

僕はもはや悔しさも感じず、「そりゃそうだよね」と思いました。

後期試験は受かるはずもないので、来年どうするかを考えていました。

僕はとなりにいた”つっきー”という高校生と仲良くなりました。

彼も失敗したらしく、その場で仲良くなって、意気投合して、

「来年絶対合格して、立派な医者になろう」って話して、

ボールを買って、公園でサッカーをしました。

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来年どうしようかなと考えていて、僕は迷いながら予備校に通いだしました。

そんなとき、センター試験や二次試験の結果の紙がとどいて、「よくて300番ぐらいかな」と思いながらなんとなしに封をあけました。

僕はそれをみて、ほんとに衝撃を受けました。

結果は70人枠で90番だったのです。

「え、90?あと少しじゃん」

後期試験も20人枠で30番でした。しかも面接は100点中20点。(ちなみにこれは異常に低い数字です。)

僕はかなりの失敗をしていたのに、「失敗してこれか」と思いました。

二次試験も数学だけはズタボロでしたが、英語、生物、化学はかなり点がよかったです。

「二次試験、なんにも勉強できてないのに…」

僕はたしかに落ちてしまったけど、正直「医学部なんてたいしたことねーな」って思ったし、自分の勉強してきた方法もまちがってなかったと確信をもちました。

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僕はそのあと、パソコンやインターネットに出会い、起業をしました。

そして今、そのときの経験をもとに社会人や受験生に仕事や勉強について教えたり、教材をつくって販売したりしています。

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最後に僕が今回、なんのためにこの話をしたかを書きたいと思います。

僕は高校のときは、全然大したことがありませんでした。

大人になって、人生に迷い、意味もわからず医学部を目指しました。

僕は自信も能力もなく、不安とたたかいながら、勉強しました。

そしたら、今まで全然そんなやつじゃなかったのに、たった8ヶ月でとんでもない成果を出すことができたのです。

今、あなたは目標があるかもしれませんし、もしかしたら昔の僕のように迷ったりしているかもしれません。

あきらめたくなることもあると思います。

僕は自分もそうだっただけに、みんなの気持ちがわかるつもりです。

人間のポテンシャルというのははんぱないので、やり方をよくして努力すれば大概のことはできます。

目標を高く持ってください。

そして、今すぐはじめましょう。

僕はよく生徒に言うのですが、今の能力とか、これまでの成績とか全く関係ありません。

いつでも生まれ変われます。

事実、僕が教えた生徒のなかには高校に207番で入ったのに、1番まであげて県でも11番をとっている事例もあります。

僕は残念ながら、本番失敗してしまい、合格することができませんでした。

あの頃は悔しさはありませんでしたが、最近それをほんとに悔しく感じるようになりました。

だから、あなたには必ず目標を実現してもらいたいです。

自分が達成できなかった目標を、みんなには必ず達成してもらいたい。

がんばってもらいたいです。

ぜひ、いつでも連絡ください。

メルマガでは、「受験のときの話」や「考え方」、「僕がどんな勉強法をしていたか」など、ブログでは書かない内容までふみこんで話をしていますし、僕が8ヶ月で日本で96番をとったときの勉強法をまとめた教材の案内も流しています。

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それでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

医学部受験時代の試験成績

(写真1/4) 全国順位96位

 

(写真2/4) 医学部内順位 広島大(医)8位, 山口大(医)2位

 

(写真3/4) 模試順位(4月)7位, 偏差値70.9

 

(写真4/4) 模試順位(6月)4位, 偏差値74.1

指導実績

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